すこし前のことになるが、ボクの大好きな保守派のコラムニスト、D・ブルックスさんが、これまたボクの大好きなニュース番組(PBS News Hour)の中で、次のような発言をしていた。
“A lot of this issue gets down to, say, a gay couple goes to a bakery or goes to a wedding photographer and they say, would you work our marriage ceremony? And the baker or the photographer says, I’m not really comfortable about that. And does the government — should the government be forcing that baker or that photographer to work? Should they coerce them into working it? If it was like a basic issue of voting rights, obviously yes.・・・To me, I would boycott that photographer. I would boycott that baker. But I wouldn’t feel comfortable with the government forcing them.”
ボクは、この発言がとても引っかかり、自分の中でメモし、しばらく考えていたのであるが、このブログの場を借りて、どうしても自分の考えを整理しておきたいと思った。
最近のアメリカでの論争を知らない人のために経緯をすこし説明すると、インディアナ州で、カフェやレストランなどが同性愛者の来店を拒否してもよいとするreligious freedom law が施行された。これを受け、Memories Pizzaという小さなピザレストランのオーナー夫婦が、自分の店にゲイやレズビアンの人たちが来たらサービスを断ると宣言し、当然のことながら、全国的なバッシングを浴びた。ところが、このレストランを助けようとして寄付が募られ、あっという間に大金が集まってしまった。そして、この一件は、大統領選も絡んで、大きな論争を呼んだ。
さて、ボクは、上で引用したブルックス氏については、普段からその中庸さというか、穏健さ、理性的な判断を下そうとする紳士的な姿勢をとても尊敬しているのであるが、今回に限っては、どう考えてもやはり彼の考えにはついていけない、と思った。なぜなら、まず第一に、この引用の冒頭で彼がいっているthis issueというのが何を指しているのかは、まったくもって不明である。話の流れからすると、それはreligious freedomというissueだということだろうけれども、ピザレストランで入店を断られる法的根拠がゲイであるかどうかということは、断られる側の方からすれば、宗教の問題ではなく、平等の問題である。したがって、ここには複数のissuesがあるのであって、ブルックス氏の問題設定自体、つまりそこにひとつのイシューしかないと言っていること自体、誤った(偏った)認識に基づいていると言わねばならない。
さらに、もしequalityの問題だとすれば、それはたとえばこのピザレストランのオーナーの個人の心の問題を超えて、社会全体が持つべき理念の問題として、議論されなければならない。だから、それはけっして、こうした個々の人々の信仰心に「還元(”gets down”)」されてはならない。そのような問題として還元できると考えることで、すでに論争の構図をすり替えてしまう可能性がある。
このインディアナの法律が、たとえば女性の入店を拒否してよい、あるいは黒人の入店を拒否してよい、あるいは身体障害者の入店を拒否してよいという内容だったら、だれもがreligious freedomの問題としてはとらえず、すぐさまequalityの問題としてとらえていたであろう。であれば、voting rightsを制限するのと同じくらい、原理的な(”basic”)問題を抱える法律だと、認識されるであろうし、ブルックス氏も間違いなくそのように考え、たんにボイコットすればよいという結論には至らなかったのではないか。
だから、この事件がわれわれにつきつけているのは、sexual orientationを、性別、人種、障害の有無と同じカテゴリーに属さないと考えてもよい理由、それについては差別されないことを必ずしも保障しなくてもよいものとする根拠が、どこにあるのかを明らかにする必要がある、ということなのである。それをたんに宗教の自由だというだけでは、宗教という隠れみのによって、あらゆる差別や迫害が正当化されることに道を開く。ボクは、たとえばフランス語が喋れないとか、股下が短いとか、「イケテナイ」という理由だけで、フレンチレストランやおしゃれなバーに入れなくなることは、絶対に嫌だ、と思うのである。