鶴見俊輔発、加藤典洋経由、パブリウス行き

しばらく前から、もう何年も前にどこかで読んだあるエッセイが気になって仕方がなかった。それは、先日お亡くなりになった鶴見俊輔さんが戦後書いた文章を部分的に引用していたもので、実はボクが関心があったのは、その鶴見さんのいっていることの方であった。ボクは、見田宗介さんの『白いお城と花咲く野原』か、あるいは加藤典洋さんの評論集のどちらかだろうとあたりをつけて、今夜こそ、それをみつけてやろうと、ぱらぱらとめくっていたら、案の定、加藤さんの『君と世界の戦いでは、世界に支援せよ』に収められている「『世界の終わり』について」という文章に、その部分をみつけることができた。で、これは、目下の日本の政治状況、すなわち安保法制が国会を通過しようとし、それに反対して多くの人々がデモに繰り出している状況について、ボクが考えていることの大部分を占めている。だから、今日、いま、それをここに、そのまま引用して、示しておきたいと思う。

鶴見俊輔は、あるところで、戦争の惨禍を問題にするならば「責任者裕仁を天皇・大元帥として処刑するの論」を張らなければならないと主張する二十歳の学生の作文を受けて、しかし、この天皇制廃止の主張に例をみる「ある価値基準の極限による思考」というものは、「それが実現しないという日常生活が長つづきしていくとき、一日、二日、三日だけではなく、一年、二年、三年、四年、五年、十年、十五年、二十年、三十年、四十年、五十年、坂本清馬の場合には八十年つづいたんですども、そういう果てに自分はどうなるのか、そういう問題を考えてほしいんですよ」と述べている(『戦後思想三話』)。こうした「極限的思考」は「ある一瞬の空想の平面のうえでは」きちんと「きれいに間取り」できる。しかし、それは「きょう実現できない」。鶴見は、「天皇を裁判にかけて死刑にする」というようなある一個人の考え、願い、思想が、きょう実現できず、「あしたもできない。あさってもできない。十年、二十年、三十年、それがつづいていくとしたら、その思想をもつ人にとってその思想はどういう役割を果たしますか。そのことを考えてほしいんですよ」とこの学生にこたえるのである。

この場合、このような「内面」、「人間性」を抱えた人間にはどのような道が残されているだろうか。鶴見は、一つの道は、「テロ」であり、第二の場合は、「逆テロ」、正反対への主張への転換であり、「もう一つはユートピアンになるというやり方なんです」と、牢屋をでてからヨーグルトの製造販売に従事して生涯を終えたロシアの元テロリストの例に触れて三つの道をあげている。(加藤典洋『君と世界の戦いでは、世界に支援せよ』筑摩書房、1988年、74ページ)

リユニオンでの会話

かつてスタンフォードで一緒に勉強した仲間たちと、サンフランシスコで食事をした。アメリカ政治学会で、久しぶりにみんなと顔をあわせることになった。場所は、ミッションディスクリト。サンフランシスコには美味しいレストランがひしめくが、中でも、いまいちばんトレンディな地区である。しかも予約をとりつけるのが難しい人気のイタリアンのひとつ、Locanda。557 Valencia Street。

会話は、メガネの話から始まる。それぞれ老眼が進んできて、「どうしてる?」、「この前、はじめてバイフォーカルを作った」、「それにしても、進行、早いよね」、「私はコンタクトを前提、リーディングのためのをかけることにしている」、などなど。あまりにdepressingな内容なので、「この話題はやめよう」ということになった。

次は、子供の名前の話。「アイザックは、珍しい名前かと思ってつけたら、いまクラスに必ずほかにもひとりはいるんだよね」、「聖書に由来する名前は、一般的に、最近、増加傾向にあるみたい」。ボクが、アイザックが聖書に由来する名前と知らなかったというと、「アイザックは、たしか聖書の中でももっとも有名なトップ10の逸話のひとつに出てくる」、「エイブラハムの子供かなんかだよね」とおしえてくれる。「ああ、旧約聖書のほうね」。ボクは、旧約聖書は読んだこともない。「そうそう、わりとはじめのほうに出てくる」、「神への捧げ物にされるんだったね」などなど。子供の名前の話題から、一転して教養的になっていき、話が広がる。

続いて、すこしワインが回ってくると、昔の同僚やかつての先生たちの近況へと話題は移っていく。「⚪⚪は、卒業してすぐにロースクールにいって、学術の世界をやめちゃったよ」、「△△は、結局博士を取れなかったみたい」、「××は、つい最近、小説家としてのデビューに成功した。知ってた?ニューヨークタイムズのレヴューで取り上げられていたよ」。これには驚いた。「すごいねえ、ボクのこと、覚えているかな」、「もちろんだよ、連絡とってあげたら、喜ぶと思うよ」。で、実際、その夜、ホテルにもどってから早速連絡をとって、旧交を温めることができた。そういう意味では、いまは便利な世の中である。

というわけで、これらの友人たちは、ボクの人生の宝ものである。あと何回、こうしてみんなで揃って食事をすることができるかと思うと、「一期一会」という言葉の重みが身にしみる。「このへん、少し歩いてから帰ろうか」と、他にも賑わっているレストランをひやかしたり、すでに閉店したウィンドーを覗き込んだりしながら、ぶらぶら。「ここで、古着の革ジャンをかったら、それがとってもよかった」、「ここの落書き、どれもすごいねえ」。本当だ。思わず立ち止まって、見入ってしまう。「フレームつけたら、そのまま、全然、売れそう」。

最後は、当地にすんでいる友人が、みんなをホテルまで送り届けてくれた。