続・契約説について

昨日、あまり長く書くことはしませんが、といっておきながら、もう一回、今日続編を書くことになりました。ま、いろいろと考えたことがあって、それらをまとめておきたいと思ったからです。

アメリカ革命の過程には、いわゆる契約説のいうところの(原初的)「契約」の思想的重要性を見いだすことができないという考え方も成り立つのではないか、と昨日書いたが、だからといって、アメリカ革命が進む中で、人々が交渉したり合意したりということがなかったかといえば、そういうわけではけっしてない。いや、むしろ、フィラデルフィア憲法会議やその後の憲法承認プロセスは、まさに、人々がそうした国民的コンセンサスを探し求めた過程として捉えるべきであろう。ただ、それは、一般の人々が一般の人々と相互に、もうすこし形式的にいうと、各州を代表する代表者たちが相互に、国の形を決めていくというプロセスであった。そこには、王や独裁者との契約を(一般の人々が)勝ち取ったという構図はない。

しかし、ですね、荒唐無稽なというか、非常に興味深い歴史的な「ねじれ」とでもいうべき事実は、さらにその先に見出されるのです。実は、ヨーロッパに淵源をもつ契約説は、連邦化を進めようとしていた人々の間ではなく、アメリカ連邦国家の誕生に反対した人たち、すなわちジェームズ・ウィルソンやジョージ・メイソンなどアンチフェデラリストの思想に、脈々と生きづいていたと考えられる。なぜなら、彼らこそ、新しく生まれようとしている連邦政府が巨大な権力を握り、人々の権利を奪うことになるのではないか、ということをもっとも先鋭的に危惧した人々であった。だから、彼らは、憲法草案にBill of Rightsが含まれていないことを理由に、草案に反対の主張を堂々と展開した。そして、結局、ハミルトンやマディソンら連邦主義者たちも、その「修正」を受け入れて、ようやくアメリカ合衆国が誕生することになる。

とすると、ここには、明らかに交渉ないし闘争があり、メイソンらがハミルトンらと「契約」をかわして、国家が誕生した、という構図になっているとも捉えられる。しかし、いうまでもなく、当時、ハミルトンやマディソンたちが、(旧来の契約説が想定するような)独裁者や王であったわけではない。メイソンらは、いってみれば、まだ存在もしない、想像上の「巨大な権力」として、ハミルトンたちが企図している連邦国家を恐れたのにすぎないのである。さらにいえば、ハミルトンはともかく、すくなくともマディソンは、連邦国家のもとで権力が巨大化することを非常に警戒しており、その意味では、メイソンとまったく同じ方向を向いていた。

このように、社会契約説をしつこくアメリカ革命に当てはめ、その意義を見出そうとすると、「メイソンとハミルトンとの契約」がアメリカ建国の原初契約であったと捉えることになるが、どうみてもそのような解釈は、そもそもの契約説が描こうとする政治過程の想定には収まりきれない、と結論せざるを得ないのである。

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(社会)契約説について

昔から、社会契約説というものについて、教科書的な解説が腑に落ちずにいた。そう、近代以降の国家社会、とくに民主主義社会のあり方を支える重要な思想だといわれている、あのルソーやロックの社会契約説のことです。少し前、ヒュームの原初契約批判を読んで、多少はモヤモヤが晴れたかな、とも思っていたのだが、それでもなんか、まだストンと落ちたという感じはありませんでした。

しかし、ですね、この元旦から読み始めたある本のおかげで、少なくとも、なぜ自分がこれまで社会契約説とうまく付き合ってこれなかったのか、だけは、よくわかったような気がする。考えてみれば、これは政治学者としては、かなり大きなというか、一生の収穫ともいえるような、開眼である。これまでは、「あなた、政治学者として、社会契約説をどう評価してますか」と問われても、きっと自分の立ち位置がわからず、ムニュムニュとごまかしていたと思う。これからは、少なくとも自分の言葉で語り始めることができるのではないか、という気がする。

あまり長く書くことはしませんが、社会契約説が民主主義を支える思想である、という考え方は、結局のところヨーロッパにおける民主化闘争の延長というか継続の上に、アメリカ革命とそれ以降の民主主義の展開を捉える考え方なんですね。イギリスにおいては、マグナカルタ、名誉革命など、実際に王(独裁者)と民(一般の人々)が(暴力や内戦をのりこえて)交渉をして、まさに契約(ないしは合意)をかわして、国の形を決めた。そこでは、権利は契約に由来するという考え方が、理念的にも歴史的事実としても裏付けられる(notwithstanding ヒュームの批判)ことになる。

しかし、アメリカ革命とは、そういう歴史と一線を画す、むしろまったく新しい展開である、という見方も成り立つのではないかと思う。つまり、独立のあと連邦国家として誕生したとき、アメリカでは、権利は憲法に書くことによって、憲法が保障するものである、というまったくあたらしい考え方が生まれたのであり、そこには国民が誰かと交渉して契約したり合意したりするものだ、という発想はなかったのである。この意味では、アメリカの民主主義というのは、われわれが教科書でまなぶ社会契約説とは無関係に、誕生したともいえる。

もっといえば、1789年にアメリカにおいて誕生した立憲主義は、契約ではなく、憲法に書くということで、架空の(抽象的な)契約の存在ないしその重要性を否定する意味をもっていたともいえる。だから、それは実は、社会契約説の延長どころか、社会契約説と真っ向から対立する考え方として捉えられるべきと思うのである。