連載3 グリーン券から考える正義について

席が空いているか空いてないかわからないのに、グリーン券を購入するのは非合理的であり、実際に乗り込んで席が空いていることを確認してから購入する方が合理的である、という命題は、ダブルプライシングがなければ、文句なく成立する。しかし、前者の方が安く後者の方が高いという条件のもとでは、上記の命題とはまったく逆方向に、当然のことながら、高い値段を払うのは非合理的で、ディスカウントの低額を払った方が合理的であるという、もう一つの命題がうまれる。したがって、この時点で、JR東日本の普通列車のグリーン券の価格設定は、合理性と非合理性とが打ち消し合っている奇妙なものになっている。いいかえれば、それは合理的な意思決定をしたいと思ってもできない、という意味で、われわれに不自由を強いるものとなっている。

実は、ここにさらに第三の要素が介入する。事前に(安い)グリーン券を求めるかどうかの意思決定は、席が空いているか空いていないかという事象についてのリスク態度によって影響される。いってみれば、楽観的な人(リスクが少ないと思う人)、つまり「きっと空いているだろう」と思う人と、悲観的な人(リスクが多いと思う人)、つまり「もしかすると空いてないかもしれない」と思う人では、買う買わないの判断に大きな差が出る。いうまでもなく、楽観的な人と比べて、悲観的な人は、事前にグリーン券を購入しない、という判断に傾きやすいはずである。ということは、事前に買うと安いというグリーン券の価格設定は、リスクに関して楽観的な人に有利に、悲観的な人に不利に、できた制度になっている、ということになる。

さて、では、どのような人々がリスクに関して楽観的で、どのような人たちが悲観的なのか。これは、生まれつきの性格とか育ちによって決まるもので、おそらく、その人本人がコントロールできない生来の資質であると思う。ボクの感覚からすると、自らの選択で事前にグリーン券を買うか買わないかを決め、それによって若干損を被ることになるかもしれないとしても、それはそれでしょうがないと思える。しかし、リスク態度とは、人種とか、肌の色とか、メガネをかけなければならないほど視力が悪いかどうかとか、足が短いかどうか、ということと同じように、人間を差別する基準となってはいけない要素のひとつではないか、と思うのである。

すると、ですね、現行のグリーン券の価格設定は、憲法違反の疑いがでてくるのです。そうでしょ、JR東日本さん、憲法の14条を読んだことがありますか。「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」。あんたたちは、リスク悲観者を不当に差別しているんじゃないですか。

あはは。こんなことを言うと、いやいや、憲法には「身分」または「門地」と書いてあるけど、人々のもつ「リスク態度」とは書いてないよ、という反論が聞こえてきそうである。いや、しかし、ここは「身分」および「門地」をできる限り拡大解釈して、「生来の、自分ではコントロールの及ばない要素」全般と読み替えるべきではないでしょうか。(←ちょっと無理筋、かな)

いや、しかしですね、こんな問題よりもなによりも、そもそもなんでグリーン車などというもの、つまり金持ちが乗れて、金持ちじゃない人が乗れない、というそんな車両自体が許されるのか、という問題も、実はここにはあるのです。これこそ、そもそも憲法14条違反ではないか、という議論も成り立つのではないかと思うのであるが、これについてはまた次回。

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