連載2 グリーン券から考える正義について

そもそも、JR東日本の普通列車のグリーン券によって、われわれは何を購入しているのか、それは明確でない。新幹線や成田エクスプレスのような特急列車のグリーン券と違い、普通列車では席を指定して乗車することはできない。なので、たとえば東海道線のグリーン車に事前にスイカ・パスモで購入して乗り込んだとしても、席があいてないこともありうる。ところが、席がなくても、グリーン車に乗車すること自体に対して、グリーン券が要求される。だから、普通列車のグリーン券を購入するとは、グリーン車で席に座ることを確約するものではなく、グリーン車という特別な空間にいてもよいという権利を買うということを意味する、というのが正しい。

席も与えられない(かもしれない)のに、対価を要求すること自体、不公平だという議論も成り立つが、ここではその議論はとらない。たしかに、グリーン車は、通常、普通車に比べて、空いている。なので、その特別な空間にいてもよい、という権利にたいして対価をもとめるのは、それなりに正当化されうるとも考えられるからである。

しかし、そうはいっても、この論理がまかり通るなら、いくつかおかしいことになりはしないか。たとえば帰省ラッシュで激混みの新幹線で、自由席がもう乗れないくらい満員だった場合、自由券しかもっていない人が指定席の車両に立つ、ということが起こっているではないか。おそらく、指定席車両の方が、自由席車両よりも空いている。とすると、まさに上と同じ理由から、そのような空間にいるという権利にたいしては、同じように、なんらかの余分な対価を本来もとめるべきではないのか。

しかし、新幹線の自由席がいかに非常に混んでいても、客がグリーン車に車両にいって立つ、ということはないような気がする。いったい、このことはどうやって、区別され、正当化されうるのか。ますます、よくわからない。

話を、普通列車にもどすと、われわれにしてみれば、座れるか座れないかが確実にはわからないのだから、実際に乗ってみて、席が空いているのを見届けてからグリーン券を購入しよう、と考えるのが合理的な意思決定の仕方であるように思える。前もって、グリーン券を購入して乗り込み、座れないことが判明した時、普通車に移ってグリーン券をあとで払い戻してもらうこともできるのであるが、その手続きは煩雑だし、実は手数料も取られる。ならば、最初から、グリーン券を購入してから乗る、というのは非合理的な意思決定である、ということになろう。

しかし、ここに、あの事前購入の方が安いというダブルプライシングシステムが立ちはだかっているのである。それは、まさに、合理的な意思決定ではなく、非合理的な意思決定をせよ、とわれわれに迫る。

いや、正確にいうと、この二者択一の意思決定は、もっと複雑なのであるが、この点については、また次回ということに。

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