連載1 グリーン券から考える正義について

正義とか、公平性とか、そういうテーマについて、引退する前までに、一冊は本を書きたいと、ずっと思ってきた。この連載が、そうしたものに結実してくれればと願い、少し書き始めてみようかと思う。

正義とか公平性というと、大げさに聞こえるが、ボクは、こうした話は、別にどこから始めてもよいだろうと思っている(なんかサンデルみたい)。で、ボクにとって、それはたまたま、JRのグリーン券だった、ということにすぎない。(前回のブログでも紹介した通り、このことについてはすでにJR東日本に問い合わせをし、その回答も頂いている。この回答も、いずれじっくりと分析してみたい。)

さて、まず、なんのことやら、さっぱりわからない人のために、基礎情報を書き出しておくと、JR東日本では、普通列車にグリーン車というものがある。新幹線とか踊り子号とかの特急列車にではなく、通勤や通学に使う東海道線、横須賀線、湘南新宿ラインなどに、グリーン車があるのである。そして、このグリーン車に乗るためには、グリーン券を買わなければならない。

いまでは、このグリーン券は、スイカやパスモを使って、あらかじめ列車に乗る前に購入しておくことができる。席の頭上に、それをかざすと赤色ランプから緑色ランプに変わる装置があって、それによって席に座っている人が、ちゃんとグリーン券を購入しているかどうかが一目でわかるシステムになっている。

しかし、事前購入することができずに(たとえば発車ギリギリで)グリーン車に飛び乗ったとしても、もし席が空いていれば、グリーン券は列車内でも購入できることになっている。そういう場合は、当然のことながらランプが赤色表示になっているので、アテンダントの人がやってきて料金を払ってください、という展開になる。ただし、その場合は、割高に料金が設定されている。その時、ブーブー文句をいっても始まらない。車内には、いたるところに、中で買ったら、事前に買うよりも割高になりますよ、という表示が(まさにそうした事態になった時に、いや知りませんでした、と言わせないために)いたるところにある。

さて、ボクの疑問は、なぜこのようなダブルスタンダードならぬ、ダブルプライシングが許されるのか、いや、許されるなどというと若干上から目線なので、なぜそれが正当化されうるのか、というものである。

事前に買った人も、列車にのってから買った人も、受けるサービスはまったく同じはずではないか。それは、同じグリーン車にのって、同じ距離だけを移動するというサービスである。なぜ同じサービスに対して、異なる対価を求めることが許されるのか、じゃなかった、正当化されるのか。

ちなみに、新幹線のグリーン車にのるために、グリーン券を買うとして、1日前にそれを買うのと、当日それを買うのとでは、価格は同じである(と思う)。

なぜ、同じグリーン券なのに、東海道線や横須賀線では、事前に買うとディスカウントがついてくるのだろう。そして、そのことをなぜ人は正義にかなっていない、不公平だ、として文句をいわないのだろう。ボクの話は、ここからスタートするのである。(続く)

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