「三匹のくまの話」の話

昔、カナダで娘を育てていた頃、Goldilocks and the Three Bearsという本があって、よく読み聴かせていた。ゴールディロックスという女の子が、森の中で迷い、お父さんぐま、お母さんぐま、赤ちゃんぐまの住む家に入りこんでしまう。三匹のくまは、自分たちのお粥を作ったところだったが、冷めるまでのあいだ散歩にでていて、ちょうど留守であった。そこに入り込んだ女の子は、赤ちゃんぐまの粥をぜんぶ平げてしまう。さらに、留守をいいことに、いろいろな部屋にいき、赤ちゃんぐまの椅子を壊してしまう。そして、疲れて、赤ちゃんぐまのベッドでそのまま寝てしまう。さて、そこにくまたちが戻ってくる。家の異変に気付き、ベッドに寝ている女の子を発見する。女の子は、くまたちの視線に驚き、飛び起きて「助けてー」と大声をあげ、逃げていく・・・。そのような物語であった。

それから、20年がたち、最近ボクの息子が保育園で「三匹のくま」という本を気に入ったので、うちでも買い求めることになった。実は、この本の内容は、ほとんど上記の物語と同じなのであるが、ところどころ違っていて、その違いが気になって仕方がない。

第一に、日本で手にした「三匹のくま」という本は、トルストイ原作と書いてある。20年前娘に読み聴かせていた本が、トルストイ作と記されていたら、ボクはおそらくそのことを記憶していたと思う。ところが、Goldilocks and the Three Bearsには、(これは後でしらべてわかったことだが)まったく違う原作者がいることになっている。英語版のウィキペディアにはトルストイの名前はまったくでてこない。粥を食べてしまうところ、椅子を壊すところなど、話の展開はまったく同じであるにもかかわらず、である。

第二に、日本語の本では、女の子の名前は明らかにされていない。ボクは20年前に「ゴールディロックス」という聞きなれない名前を鮮明に記憶に焼きつけていたので、これも奇妙な不一致だな、と思った。実は、日本語の本では、三匹のくまの方には、ロシア名前でそれぞれ名前がついていて、しつこいぐらいにそれらが繰り返される。逆に、英語の本の方では、三匹のくまには名前はついていない。

第三。第二の点の延長であるが、英語の本では明らかに女の子が主役であるが、日本語の本では、(ということは、おそらくトルストイの原作でもそうだと思うのであるが)女の子と三匹のくまとどちらが主役なのか、わからないように描いてある。これは、おそらく意図的だろうと思われる。本来だったら、家に住み、食事をつくって食べ、椅子やベッドという家具をもつのは人間であるはずである。くまたちがすむ家に人間の女の子が勝手に入り込んでくるという設定は、両者がまったく逆転している。なぜこうした奇妙な構図をトルストイが用いたのかはわからないが、両者の主従関係が曖昧であるがゆえに、それは想像をかきたたせる。ところが、そのような「仕掛け」の効用は、人間の女の子を明確に主人公に描くGoldlocksの物語には、まったく感じられないのである。

Advertisements