(続々)Journalism in Japan?

テレビをみていると、どうしてもこの人が出てくるとチャンネルを回してしまう、という人がいる。気持ち悪くなる、というか、生理的に受け付けない、そういう人のことである。おそらく、こうした反応は、多かれ少なかれ、(対象となる相手が誰かは別にして)どのような視聴者にも起こることではないか、と思う。

さて、ボクにとって、そういう人の一人に、ある有名な女性作家がいる。そして先日、前に自分もよく出ていたテレビ番組(←こういってしまうとすぐわかってしまうが)に、この方が出演していた。この方は、同番組に頻繁に出演するので、きっと番組を作っている側の見方からすれば、その発言や考え方に魅力があると思っているのであろう。ところが、ボクにとっては、この人はまさに天敵、顔を見るのも嫌だし、喋っている声も本当に耐え難い対象なのである。

さて、しかし、その日は、自分の生理的反応を押し殺して、いったい何で自分はこの人に対し、「この人がでてくると、チャンネルを回してしまう」というくらいの強い拒絶反応をするのかを自己分析したいと思った。で、気持ち悪さをひたすら我慢して、一生懸命、その番組を見続けた。ちょうど「移民」という興味のあるトピックであったし、共演している学者の方がとても落ち着いて素晴らしいコメントをなさっていたので、なんとか2時間(弱)見続けることができた。

その結論であるが、ボクがこの女性作家を耐えられないと思うのは、結局のところ、この方が「知的会話」ができない人だから、ということがわかった。キャスターの質問に、まともに答えることがない。いつでも、自分の知っている分野ないしは事柄に話題を引き寄せて、発言しようとする。要するに、他人を尊重しないという態度、人の意見や考え方などはどうでもよく、自分の話だけを延々とし続ける、そういう態度を、ボクは限りなく不快に思い、それで「この人が出てくるとチャンネルを回してしまう」という行動をとるのだ、という分析結果を得たのである。

さて、本題は、ここからである。おそらく、であるが、この方を番組に出演させ(続け)ているメディアは、よほどのボンクラでない限り、このこと、つまりこの方が知的会話ができない、ということに気がついている。実際、この番組のキャスターは、質問にまともに答えないこのゲストに対し、ときおり同じ質問を繰り返したり、答えてくれるよう懇切丁寧な誘導をしようとしていた。しかし、それは何を意味するかというと、この番組をつくっている方々は、善意ではなく悪意、すなわち、たとえその日のトピックからずれていたとしても、この方の話しの内容がそれなりに面白ければそれでよい、あるいは、この方を出すことで固定ファンがみてくれればそれでよい、そういった計算のもとにこの方を出演させている、ということになるのである。

こうした判断は、ボクにいわせれば、実に間違った判断である。なぜなら、第一に、まともに知的な会話もできない人を繰り返し出演させるということは、視聴者のリテラシーを低く見積もっていることになる。さらに、メディアには、視聴者のリタラシーを向上させていく機能が期待されているのであって、この場合、それを放棄していることになるからである。こうした番組を作る側は、もし知的会話が成り立っていないということに気づいているならば、それを番組の中で視聴者にわかる形で、もっと正確にいえば、(知的会話が成り立っていないということ自体ではなく)知的会話が成り立っていないことを自分たちが気づいているということを視聴者にわかる形で、伝えなくてはならない。もちろん、一番適切な対応は、そもそも、そのような知的会話が成立しないような人を、ゲストとして(なんども)呼んでこない、というように、人選の段階で誤った判断をしないことなのである。

 

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