(続)Journalism in Japan?

日本では、大手の新聞が定期的に全国世論調査を行っている。世界的にいえば、日本でのこうした世論調査の頻度はかなり高い方であり、表面上は、日本のメディアは民意を汲み取る努力をしているようにもみえる。しかし、実際は、そのような肯定的な評価を下すわけにはいかない状況にある。

大きな問題は、よく知られている通り、日本の大手新聞の世論調査の結果に大きな開きがあることである。たとえば、安倍内閣に対する支持・不支持や、憲法改正に賛成か反対かというような項目に関しては、ほとんど同時期に行われた調査でありながら、A新聞とY新聞とのあいだに5から10ポイントぐらいの差があることは日常的で、ときには15ポイント以上離れていたり、支持・不支持や賛否が逆転したりしていることさえある。

こうした現象に関するわれわれ同業者(すなわち世論調査を専門に研究している政治学者)のすぐさまの答えは、それは質問項目のワーディングが異なるからだ、というものである。たしかに、同じ質問を尋ねているようでも、新聞ごとに正確な訊き方は異なり、そのニュアンスによって回答者がどちらかの回答へと「誘導」されている可能性は高い。

しかし、話はここでおわらない。というのは、A新聞とY新聞(あるいはM新聞とS新聞でもよいが)にみられる調査結果の違いは、このワーディングのちがいだけでは説明できないほど大きいからである。それは、同じ内容の質問をしているとしか思えないときでも、統計的に有意な差があることからもわかる。たとえば、内閣に対する支持・不支持などというのは、本来は、どのようなワーディングで訊いたところで、回答の分布にそれほどちがいがでるべきものではない。

そこで、われわれ同業者が疑っているのは、そもそもA新聞の回答者サンプルとY新聞の回答者サンプルとが、著しく異なっているのではないかということである。世論調査というのは、ひとりひとり、あるいは一軒一軒、無作為に選ばれた回答者に対して「すみません、世論調査に協力していただけますか」と、同意を取るところからスタートする。しかし、もしこの時点で、たとえば、「どこの世論調査ですか?」「A(Y)新聞です」「冗談じゃない、おたくのような左(右)翼の新聞に協力できるものか」などというやりとりがあり、それぞれの新聞の調査に応じてくれる人々の属性に大きな偏りが生じているとすると、当然のことながらその回答の分布にも違いが生じることになる。だとすると、たとえまったく同じワーディングに合わせたとしても、各社の調査結果には永遠に差が残る、ということになる。

もしこのようなことが起こっているとするならば、それは、個々の新聞社が自らに貼られているレッテルというか、色付けというかを乗り越えて、政治的に中立的な世論調査をできない状況におかれている、ということを意味する。いいかえれば、それは、日本の新聞社が世論分布を客観的に把握するという、メディアに与えられた役割のひとつを担うことができていないことを意味するのである。このように開きがある調査結果を、ずっと第一面に掲げ続けて恥ずかしくもなんとも思わない新聞社は、そのこと自体、メディアとしての自覚を欠いているといわなければならない。もし彼らに真のジャーナリズムとしての気概があるならば、いかにしてそれぞれの社名に染み付いた政治的色付けを払拭して、正しい世論調査を行えるようになるか、どうしたら有権者に本当に意味のある客観的な世論調査結果を届けられるようになるかを、お互いに—そう、お互い協力して—、知恵をしぼるべきなのである。

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