Journalism in Japan?

安倍首相とプライベートで寿司を一緒に食べるメディア関係者がいるらしい。まあ、誘う方も誘う方だが、こともあろうに、中には首相と同席したことを自慢げに語る人もいるらしい。寿司は別にして、実際、首相との関係が近いこと(たとえば携帯番号を知っているとか、携帯に直接電話がかかってきたとかいうこと)を、テレビやラジオで視聴者に伝える自称ジャーナリストたちもいる。どうも当人たちは、それを「さらりと」やっているつもりらしいのであるが、聞いている方からすると「わざとらしく」というか「みえみえに」しかうつらない。

いずれにせよ、こうした行動は、ジャーナリズムなるものの理念に真っ向から反するものである。海外の一流のジャーナリストたちは、権力の座にある人たちと「近いこと」ではなく、まったく逆に「一定の距離を保っていること」を自慢する。たとえば、ディナーに誘われたけれど断った、ということを自慢するのである。

この一事からも明らかであるが、日本のメディア業界は、国際化・グローバル化が著しく遅れた業界だといわねばならない。いったい、日本でジャーナリストとよばれる人たちの中で、国際標準に達しているといえる人たちが、どれだけいるか。世界のリーダーたちが集まる場で、他の記者たちを差し置いて、あるいはそうした同胞たちからも一目置かれて、質問をする機会が与えられる日本人がどれだけいるのか。

世界標準に達していない人たちが(新聞の)紙面をつくったり(テレビの)報道・情報番組を作ったりしているので、こうした一般向けのメディアにでてくる「専門家」の顔ぶれが、実にひどい。とくにテレビの人選は、本当にどうしようもないと思う。自分の専門の政治学、そして多少は知っている経済や心理など社会科学の分野についてに限っても、なぜこうも、研究者になりそこねた連中ばかりが、専門家としてつぎからつぎへと登場するのかといぶかってしまう。

現在の日本のメディアは、二重の意味で、日本の国益を損なっている。そもそも、メディアに属するものたちが、みずから切磋琢磨し国際競争をするに至っていない。そして、そのように「世間知らず」ならぬ、「世界知らず」の人たちが紙面や番組を作っていることにより、それらを受け取る一般の人々のリテラシーが、ますますガラパゴス化しているのである。日本では、ジャーナリズムはまったく機能していないとさえ、いえるのである。(この項続く)

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