ある日についての記憶

ボクの記憶によれば、祖父とボクは横浜駅の根岸線のホームで待ち合わせていた。とはいっても、もう40年以上も前のことなので、それは正確ではないかもしれない。もしかしたら、東海道線のホームだったかもしれない。

その日、祖父は、茨城の方で親戚一同が集まる大きな法事に参列することになっていた。しかし、75を過ぎた祖父を、そんな遠くまで一人で行かせて大丈夫かと、ボクの母や叔母たちが心配した。で、家族会議が開かれ、なかなか結論が出ない中、ちょうど中学生になったばかりのボクが、「じゃあ、ボクが付き添いで行こうか」と提案したら、それはちょうどいい、ということになった。それで、磯子から乗ってくる祖父とホームで待ち合わせ、茨城のとてつもない田舎(とボクには思えた)まで、二人で行くことになったのである。

祖父とボクが、二人だけで旅行(のようなもの)をしたのは、後にも先にも、この時だけであった。いまでは、その道中に、祖父と何を話したのか、どうやって過ごしたのかをまったく覚えていない。

でも、この日のことは、よく思い出す。というか、この日のことが、いまでも気になって仕方がない。それがなぜなのかは、よくわからない。

よく覚えているのは、ボクが祖父の荷物を「重いから持ちましょうか」となんども言ったのに、「いいから、いいから」と断られたことである。ボクは、荷物持ちの役を断られたら、自分がなんのために付き添いで来ているのかわからなくなるので、結構しつこく聞いた。でも、祖父は潔癖なまでに自分のことは自分でする性格で、頑として受け入れなかった。

法要が執り行われる大きな家に着いてからの記憶も、定かではない。ただ、植木がたくさんある前庭があり、広大な畑が後ろにあり、というように、ボクがそれまでに見たこともないような田舎の家だったのを覚えている。

法事が始まると、ボクはすることがなくなった。そこには、地元から同じくその法事に参加している親たちに連れられてきていた子供たちがたくさんいた。彼らは、ふだんからの遊び仲間のようだった。しかし、遠くから来たボクは、なかなかその中に入っていけない。また、ちょうど中学生になったばかりということもあって、多分初対面の人たちと一緒に遊ぶこと自体が恥ずかしい、という気が働いたのかもしれない。

しかし、ボクは結局、その子供たちと一緒になって、駆けずり回って遊ぶことになった。そして、本当に、本当に、楽しかった、ということは記憶に残っている。

祖父と一緒に帰る迎えのタクシーが来た時、その子供たちがみんな笑顔で、大きく手をふってくれて、「また来てねぇ」、「また遊ぼうねぇ」と、ボクに向かっていってくれた。ボクも「またねぇ」と、大きな返事を返した。ただ、そうはいいながらも、「ここにまた来ることはない」、「この子たちとこれから会うことも多分一生ない」と思っていたことを、ボクは強烈に覚えているのである。

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